底辺の転職生活は専門中退から始まった
さかのぼる事、20年以上前、当時19歳の自分は専門学校生でした
自分が通っていたのは、某有名電子系の専門学校、その頃はまだ夢に溢れていてプログラマーやSE(システムエンジニア)を目指していました。当時は花形の職業としてもてはやされていました。
18歳だった自分は何も迷うことなく専門学校へ進学を決めたのでした。
もともと、プログラミング系は好きな分野だったので、一生懸命勉強しつつ1年目を終える予定でした…
1年生も10月に差し掛かるある日、担任呼び出されます。
「後期から学費が支払われてないんだが」
自分の家は自分が幼いときに父を亡くし、母が女手ひとつで兄弟3人を養ってくれていました。
「お母さん、学費キツイの?」
そうたずねると、「もう少し待って。」
学校からは…
「学費がまだ支払われてないんだが」
「このままだと除籍になるが」
そんな状態が続きました。。
金銭的にキツイのか…そう悟るまで時間はかかりませんでした。
無力だった当時の自分はとりあえずの30万円もバイトなどで支払う甲斐性もなく、数か月そんな母と先生とのやり取りをして、ギリギリまで学校に通いました。そして同時に私立の高校に進学した妹の学費やまだその下にいる妹のことも考えました。
そして、忘れもしない12月に母にこう言いました。
お母さん、もう無理しなくていいよ、おれもう働くから。
当時、無理して専門学校に行かせてくれた事をその時分かりました。
ド底辺から這い上がってやる!
その時の自分の気持ちはそんな感じでした。
こみ上げる想いととにかく自分も働いてお金を稼ごうと決めました。
ド底辺からの転職はガテン系(肉体労働系)
当時、肉体労働というと、「ガテン」という転職情報誌がメジャーで、現場作業の労働者はこぞってそれで転職先を探していました。
(今でいうドカントでしょうか?)
当時、高給取りのイメージはとび職人や鉄筋工などでしたが、他にないかな?と探していると…
軽作業・未経験歓迎・日給1万3千円~、交通費完全支給、お!これ良さそう。
保温屋ってなんだ??空調設備工事??
当時、お金に執着していた自分は13000円×25日(日曜休みのみ)で未経験でも30万円おーばー!
に惹かれ、さっそく若さと体力・やる気を売りに仕事を始めました。
ちなみに「保温屋」というのは、ビルや建物の配管や空調のダクト、壁面にグラスウールという断熱材を巻いて、結露を防止したり、防音効果を狙ったり個人宅などでは、壁に埋めて保温効果を高める職人の事です。(写真参照)
このグラスウール(グラスファイバー)は、ガラスの細かい繊維でできており、工事をした後は顔や体中にその繊維がささり、めちゃくちゃかゆいです。すぐに家に帰ってお風呂で洗いながしていました。
仕事自体は職人の世界なのでやはり親方は厳しく、労働的にはかなりキツイものはありましたが、当時お金には代えられませんでしたね。
そして同じ保温屋で2度程、会社を変え、それでも計2年以上もこの職業をしてお金を貯めました。
(この転職ですでに3社ですね(-_-;))
ド底辺貧乏からの脱出できた感はありました。
この同時、若さもあり、肉体労働の疲れもあり、毎週焼肉を食べて贅沢をしていました。
しかし、専門学校中退のくやしさは忘れずに毎月貯金をして、もう一度学校に通おうと思っていました。
今度はスクールでもいいので自分のお金で行こうと決意していました。
(当時これで150万近くは一気に貯めました、体はきつくてボロボロでしたが)
目的があれば、一時的に稼ぐこともOKだと思います
自分の場合は、当時20歳前後の若さと目標があったので何とか2年程、お金を貯めましたが
そういう事で仕事を頑張るのでもいいと思います。
今考えてもあの時にあのお金で自分に投資したお金で、今でも今の職業に付けていると思うからです。
(今はアートディレクター・グラフィックデザイナー(DTP)、Webデザイナー等が主です)