40代 ド底辺からの転職その4 DTPオペレータ残酷物語

前回の記事を読んでない方は下記からお読みください。
>ド底辺からの転職その3 デザイン講座でグラフィックデザイナーを目指した

ここからは、実際に初めて転職したオフィスワークで技術職についてお話しますね。

おそらく検索でこの記事を見たあなたは、「DTPオペレーター 底辺」で検索されたのだと思います。
そのあたりの事情もお伝えできればと思います。

転職が決まり奮起

念願の転職が決まり、DTPオペレータデビュー!(底辺とは思ってません)

実際、DTPオペレータってどんな仕事なんだろう??

入社してからしばらくは会社自体もそれほど忙しくなく落ち着いた感じでした。
手書きで渡された横10㎝×6㎝位のサイズの求人広告を指定通りにMacで作成していきます。
色々な紙面に載るので、1つのクライアントの様々な案とサイズを作成していきます。
(2021年現在では、WindowsでDTPする事もめずらしく無いのですが、当時はDTPといえば、Macでした。)

DTPオペレータは底辺ではない

当時、DTPオペレータはデジタル土方とも言われていました。
オペレータ=底辺なイメージがあったのかも知れませんが、自分は今もDTPオペレータが底辺とは思っていません。
なぜ、そう言われていたかというと、当時は無理な納期で無理な量の制作の仕事が多く
クライアントや依頼者の言われるがママに、深夜残業したり徹夜で完成させたり、突貫工事みたいな仕事も多かったのです。
おそらく、ディレクターやデザイナーの言われるままに作業することがあるので、
DTPオペレータが底辺だと思われている人がいるようですが、優秀なDTPオペレータだと本当に報酬(時間単価)も高いですし、
下手くそなデザイナーよりデザイン性の高いものを短時間で作りあげてしまいます。

当時、某有名文具メーカーさんの約400ページの総合カタログを6人くらいのチームの一員として制作したのですが、
まず、載せる写真の点数がえげつないのですが、写真の切り抜き作業(Photoshopのクリッピングパス)ですら何千点もある訳です。
分かるひとには分かると思いますが、画像の切り抜き作業だけでもしんどい作業なのです。

た、たのしい!ちょっとゲーム感覚で自分のスキルが活かせる喜びがありました。

だんだんと忙しくなり、後輩も入ってきたり、実際に実践でDTPソフトを使い、
テキパキと仕事できるようになって仕事が楽しくなってきました。
メインソフトはイラストレーターとクォークでした。
実際にはオペレータなので、作業が早い方が好まれますからキーボードのショートカット
駆使してどんどん上達していった記憶があります。

ゲーム感覚と感じたのは、
様々なソフト(Adobe Illustrator、Photoshop、QuarkXpress(現在だとIndesignが主流))を駆使して、
ガンガンと印刷物を作り上げていく楽しさがあったからだと思います。
いまだに制作物のデザインは楽しいですね。

楽しいデザイン作業

DTPオペレータの仕事内容も徐々に高度なものに

途中から不動産広告のチラシの仕事がメインになってきました。
現地案内図のトレース作成から、よくある間取りの作成をメインに全体のレイアウトまで。
この辺りから、デザイン要素が入ってきました。
細かい部分の色や配置の仕方、見出しなどのデザインがお任せでお願いされるようになってきたのです。

レベルアップ

 

どうしても残業が多い職種でした(DTPオペレータ・デザイナー)

クライアント次第で終電や家に帰れない日も

当時、9時~18時が定時だったのですが、不動産広告がメインで4次受けで制作をしていたので、
修正やデザインのダメ出し、無茶な要求などで、平均22時~23時まで残業をするようになっていました。
4次受けというのは、
クライアント → 直受け企業(プロダクション) → 2次受け業者(大きな制作会社) → 3次受け(制作会社) → うちの会社
という言うような図式で、当時はすべて経由して修正などの指示が入っていたので、末端まで来るのは一番後でした。。。(涙)
今思えば、それでも夜食と残業手当(時給換算は安い)を出してくれていたのでまだ良心的だったのかも知れません。

残業

あまりの忙しさに昇給につぐ昇給

当時、社長はそこの事務所で常に寝泊まりしていました。
そして、後輩も増え、6~7名程の全体を見るようになり、18万だった月給も20万になり、23万になり、25万、27万まで短期間で上がりました。
これはもちろん、残業代を入れての金額ですが。。残業がめちゃくちゃ多かったです…
その間、わずか1年、これは自分がしょっちゅう文句を言っていたから昇給もあったのだと思います(汗)

あとは、DTPオペレータとしての技術、デザイナーとしてのスキルもメキメキあがっていきました!
これはドラクエやFFなどのRPGのロールプレイングゲームに似ています。
例えば、スキルが上がるとレベルアップするため、最初は4時間かかっていた作業も1時間でこなせるようになるのです。
また、デザインやテクニックの引き出しが格段に上がっていくので、すぐにイメージして制作に取りかかれる様にもなります。

深夜

 

当時のデザイン・DTP業界は残業してなんぼの世界

しばらくして裁量労働制という法律ができました

あまり、法律に詳しくないので簡単にお話しますと、指定した特定の業種(広告業界、デザインやクリエイター職)は裁量労働制が認められ、みなし残業制度が適用されたのです。これは、月に残業40時間とか残業60時間とかを月給に含めて良いというもので、理由としては個人の能力や実力で労働時間が増えてしまったり、残業時間が大きく変化するからです。つまり、仕事ができない人はいつまでも残業しても残業手当が増えるだけで制作が終わらないからです。これを公平にしようという趣旨だったと思います。(違ってたらすみません)

当時、笑えないですが、裁量労働制のため、夜な夜な働いて休日出勤も当たり前(手当などなし)の友人が
月給から時給換算すると400円程度という話もありました。。
今もまだそういった小さな制作会社はあるのかも知れませんが…

 

やりがいという名の搾取(クリエイティブ全般)

この頃から、クリエイター職がブラック職種、ブラック企業のイメージが付きだしました…
デザインやDTPの仕事は楽しいけど、残業が酷い、キツイ、過酷などです。

今はさすがに、働き方改革などで残業も少なくはなったと思いますが、当時は当たり前でした。
自分も体は壊さなかったですが、常に肩こりが酷かったですし、仕事人間でした。。
ずっとお付き合いしていた女性がいて結婚も考えていたので(今の奥さんです)何とか頑張りました。

好きでなければ続けられない業界ですし、特にここ数年は、Web系のディレクターやデザイナーが足りない状態です。
ただ、共通していえることはものづくりやデザインが好きでないとつらくなってきます。
DTPオペレータからでも決して底辺ではなく
そこから発展してグラフィックデザイナーやアートディレクターになるキャリアもありますし、
Web方面も勉強してWeb系デザインに転身することもできます。

抜け殻

 

そして結婚とハネムーン、そして転職へ!?

19歳から付き合って4年程で結婚式をあげました。完全に勢いで結婚してしまいました。
当時の社長にもスピーチをしてもらい、新婚旅行に6泊8日でニューカレドニアまで行きました。
幸せもつかの間で、新婚旅行から帰ってきてまた残業の毎日でヘトヘトになってしまい、
何だか仕事のために生きている様な感覚に陥り、その翌月に退職してしまいました。。。

新婚旅行

 

当時は、転職し放題の環境(クリエイター職の求人数が多数)だった

今考えると無謀かと思えるのですが、デザインやDTPの実績を積んだ経験者は、
選べるくらいの募集があり、速攻で転職先が決まりました。

もはや残業だらけの生活が嫌だったので働きやすさで決めてしまいました。

今は、クリエイティブ系の求人も総合的な職種もあったり、得意な分野のみ活かして制作業務に携わることができますので、
探してみてもいいかも知れません。

底辺だと思っているDTPオペレータのひと、ファイトです!

続く。