発達障害ADHD・LDを乗り越えて就職できた長男の話(涙)

今回は、この4月から晴れて無事に新社会人となった自分の長男の話を父として記したいと思います。

(この4月から専門学校を卒業して会社員として働いています)

まず、自分の長男ですが、アスペルガー症候群であり、ADHD(注意欠陥多動性障害)・LD(学習障害)を今も抱えています。

小学生までは週に1~2回、そういう子が行く特別支援学級に通わせていました。

本当に特別に子育ても大変だったので、立派に新社会人として会社員になれた事がリアルに感無量なのです(涙)

ぜひ同じ様な子を持つ親御さんや、ご本人に読んでもらえたら、強い希望が持てるのではないかと思います。

長いですが、最後までお読みいただけると嬉しいです。

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アスペルガー症候群、ADHD・LDは欠点ばかりではない、長所や個性でもある

いつ発達障害に気がついたのか

私たち夫婦が気がついたのは、息子がまだ2~3歳の頃からでした。

最初はまだ、ちょっと変わった子なのかな?という認識でした。

例えば、

・迷子になっても泣いたことがない

・外で遊んでいるとすぐにどこかに勝手に行ってしまう、知らない所でも平気

・ペンと紙を持たすと「0101000000101010101010101」の様な0と1を永遠と迷路を書くように羅列していた

・予期しない事が起こるとすぐにパニックになって騒いでいた

・こだわりが異常に強く何かを整列して並べる事が好きだった

・人と目線があまり合わない子だった

ここまでだと活発な男の子という位で、生活に支障が出る程ではなかったのですが、

心配になった妻は、ADHDやLDのテストを受けさせ、ADHD(注意欠陥多動性障害)や一部のLD(学習障害)があることが分かり、

経過を見守りながら、本来の小学校とは別に、特別支援学級にも通わせることにしました。

発達障害ADHD・LDを乗り越えて就職できた長男の話(涙)2

特別支援学級に通うことで2次障害が防げた

理由のいくつかあったのですが、特に劣っていると出た言語のLD(学習障害)を心配していて、

通常の小学校の勉強についていけないのではないか?

ADHDの子は、こだわりが強すぎるのと、空気が読めないので、学校で友達ができないのではないか?

そして一番恐ろしいことが、「2次障害」と呼ばれるもので、

そういった学校や友達と上手くできない、ましてやイジメなどに合った場合は、その経験がトラウマとなり、

「引きこもり」を起こして社会生活さえ、困難になってしまうことでした。

実際、特別支援学級の先生は、そういう子を何人も見ているのですごく熱心に指導してくれたことは覚えています。

発達障害ADHD・LDを乗り越えて就職できた長男の話(涙)3

幼少期はどうだったのか

長男は、幼稚園時代は、クラスの3大手のかかる子として幼稚園の先生の手を焼かせました。。

ただ、先生にも良く言って理解はしてもらっていたので、幼稚園は無事に卒園できました。

もちろん周囲の子とのいざこざや、ケンカは耐えなかったです。何度ひとの子を怪我させて謝罪したことか。。

自分も辛かったのですが、本人が一番コントロールできない感情と戦っていたに違いありません。

小学生時代は辛い思いをした事も多かった

小学校に入る頃には、色々な書籍を読み漁り、

アスペルガー症候群であり、ADHD(注意欠陥多動性障害)・LD(学習障害)であることは間違いないと、

特別支援学級を小学校の先生から紹介してもらいました。

週1~2回、そこでトレーニングを重ねることで、日常生活に適応していくプログラムでした。

そもそもパニックになるのは、何かが予想と反した時に大暴れするので、自分たちが感じていたことは、

クラスでちょっかいを出されたり、からかわれたりといった事に対しての彼のパニックがほとんどでした。

ただし、子供というのは残酷で、こういった事を面白がって、からかってくるのです。

発達障害ADHD・LDを乗り越えて就職できた長男の話(涙)4

一番酷かったのは、高学年の時にからかわれた彼が校舎の3階の窓から、

からかってきた奴の机と椅子を外にぶん投げたときでした。。

幸い、下に誰も歩いておらず厳重注意で済んだのですが、親も呼び出された時にはヒヤヒヤものでした。

ただ、そのときも自分と妻は息子を責めずに、

「何か嫌な事をされたのか」
「何でそこまでの事をしたのか」

と理由のみをよく落ち着かせて聞きました。

「いつも意地悪してくるやつがいる」と答えました。

事実を先生に話し、息子には「嫌な気持ちになったね」「でもやっていいことと悪いことがある」と諭しました。

 

そうこうしているうちに学習障害の方は不得意科目があるものの、

何とかなってきて小学校も卒業の時期になりました。(今でも小学校時代は地獄だったと彼は言っています)

「中学校は、彼が過ごしやすい環境の所にしよう」

幸いなことに、それほど遠くない位置に都立の高校がいくつもあったので、

親子3人で見学にいき、比較的穏やかなで個性を尊重する校風の所に決めました。

これが大正解で、彼の人生が良い方向転換となっていきました。

人生に目標を持つにはメンター(師匠)を見つけよう2

子供を信じて個性を伸ばす信念をつらぬいた

この頃から、夫婦で口癖の様に彼に聞かせていた言葉があります。

「自分の好きな事を見つけて、後は並以下でもいいから、好きな事だけひとより頑張ったらいい」

「みんなと同じでなくていいんだよ。きみは世界にひとりだけなんだから」

そのおかげもあったのか、中学時代は、将棋部の部長をつとめ、穏やかな校風で、落ち着いた生活を送ることができました。

友達も何人もできて楽しい生活だったといいます。(あえて、地元より少し離れた中学校へ行かせました)

個性を伸ばす高校教育やカリキュラムが彼を飛躍させた

長男にあった個性を重要視する2年生からの完全選択制授業がよかった

その後、彼は我々夫婦の勧めもあり、普通の教科を学ぶ都立高校ではなく、

2年生から、個性を活かしたメディアやネットワーク系、サイエンスやテクノロジーなど

特殊な選択科目を中心としたカリキュラムを自分で組み立てていける都立高校へ進学しました。

つまり、個性を尊重し、自分で興味があることを決めて特化して勉強する事ができるのです。

(ここ数年で新しいなった都立高校で昔はなかったタイプの都立高校です)

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将来の就職や展望を考えた専門学校へ進学が決まった

ここから、彼は水を得た魚の様に色々なことを吸収していきます。

自分に好きな分野、得意な分野ができたこと、目標を持てたこと、同じ趣味の友達がたくさんできたこと、

様々な要因が彼の自信となり、すっかりADHDやLDの障害など忘れてしまう程に成長したのです。

もともと、ゲーム制作やプログラミングに興味があった彼は、

それに近い学習をしながら、高校を卒業し、2年制のプログラミングの専門学校へ進学を決めました。

この時、スマホアプリの開発も興味があったらしいのですが、

確実な就職をみすえて、一般的な言語のJavaやPythonなどプログラミングや開発の方向へシフトしていきました。

専門学校から卒業までの彼の行動と想いとは

技術者に向けて勉強をスタート

彼の中で、2年後の就職を意識した専門学校生活がスタートしました。

もちろん、難度の高い言語JavaやPythonなどプログラミングや開発や運用を学習するのですが、

彼の中で、3つ心に決めていた事があったのです。

・親に出してもらった高額な学費を必ず就職して少しずつ返して行きたい

・絶対に自分に合った良い会社に入社して親孝行したい

・とくかく資格をたくさん取得してスキルアップしておきたい

発達障害ADHD・LDを乗り越えて就職できた長男の話(涙)7

 実は、専門学校ともなると、自分でバイト代で学費を払う生徒や、

国から借金をして専門学校に通う生徒、一度社会人を経験して再起をかけて勉強しに来ている人など、

とにかくお金に困っている友人が多かったといいます。

専門知識の学習も大変だったが、ガソリンスタンドのアルバイト並行

さらに、親としてひとつ思っていたことは、

「社会に出る前に何かアルバイトをして、自分でお金を得る大変さを体験しておいてほしい」でした。

さすがに、18歳~20歳くらいになると遊ぶのにもお金がいるので、

彼はガソリンスタンドでアルバイトを始めました。

卒業間際まで続けて結構貯金も溜まったとのことでしたが、

それ以上に社会経験・働いてお金をもらうということが身になったと思います。

社会に出て大切な礼儀や上下関係、敬語、働き方、仕事での考え方、お金よりも価値のあることです。

専門学校の修了過程までに5つもの専門資格を取得

専門資格は就職に有利、しかも会社によっては資格手当がつく

彼は、就職を有利に決めたい、資格手当で給料をアップさせたい、そんな思いからたくさんの関連資格を取得して、

計5つもの資格を取得したのでした。

そして、コロナウイルスの緊急事態宣言が出る中、息子は面接の延期を言われた会社にいくつもお願いして、

昨年にWeb面接にこぎつけ、2社から無事に内定をもらいました。

 

職種は、データサイエンティストという職業で、詳しくは下記になります。

データ・サイエンティストとは、さまざまな意思決定の局面において、

データにもとづいて合理的な判断を行えるように意思決定者をサポートする職務またはそれを行う人のことです。

統計解析やITのスキルに加えて、ビジネスや市場トレンドなど幅広い知識が求められます

転職 採用内定

採用された会社では、

「このコロナ渦なのにやる気と意欲、アグレッシブな行動力に感心した」との評価をいただいて、

自分の息子ながら、涙が出るほど感動して嬉しかったのです。

「やっぱり子供の個性を伸ばしてきてよかった」

発達障害ADHD・LDを乗り越えて就職できた長男の話(涙)8

まだ、息子は新入社員で研修を受けていますが、

困難な事も大変な事もあるでしょうが、

「自分の好きな事を見つけて、後は並以下でもいいから、好きな事だけひとより頑張ったらいい」

「みんなと同じでなくていいんだよ。きみは世界にひとりだけなんだから」

とまた話しをしたいと思います。

 

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

アスペルガー症候群であり、ADHD(注意欠陥多動性障害)・LD(学習障害)を抱えたすべてのひと、

親御さんの励みになれば幸いです。

大変な反面、それはその子の強い武器であり、強い個性なのです。